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大阪高等裁判所 昭和60年(ネ)404号 判決 1988年5月31日

控訴人(附帯被控訴人)

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

竹中邦夫

山口修弘

被控訴人(附帯控訴人)

番所五平吉

右訴訟代理人弁護士

木下元二

西村忠行

小沢秀造

藤本哲也

樋渡俊一

渡辺吉泰

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  附帯控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一一月一五日からその支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人(附帯控訴人)のその余の請求を棄却する。

三  控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、附帯控訴費用はこれを五分し、その一を控訴人(附帯被控訴人)の、その余を被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

一  控訴人(附帯被控訴人、以下「控訴人」という。)は、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人(附帯控訴人、以下「被控訴人」という。)の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決、附帯控訴につき、附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人は、主文第一項と同旨及び「控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決、附帯控訴として、「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和四八年一一月一五日からその支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示中、控訴人関係部分のとおり(但し、「被告淡路交通株式会社」または「被告会社」とあるのは、理由説示部分を含め、すべて「訴外淡路交通株式会社」または「訴外会社」と読み替える。)であるから、ここにこれを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  本件委任状作成権限につき被控訴人に錯誤はなかつたことについて

被控訴人において、本件被偽造者とされた山田桝夫ほか二六名(以下「山田ら」という。)が本件委任状作成を被控訴人に一任してくれているものと思い込んでいた根拠として原判決が挙げている事実は、次に述べるとおり、いずれも認められず、被控訴人が果して錯誤に陥つていたかはきわめて疑問であり、むしろ捜査段階における全証拠及び刑事公判に現われた証拠を総合すれば、右錯誤はなかつたというべきである。

(1) 山田らのうち大部分の者は、当初訴外淡路交通株式会社(以下「訴外会社」という。)に対する直接の帳簿閲覧請求には賛同しているものの、それはあくまで受働的、形式的なものにすぎないうえ、被控訴人が昭和四二年一〇月一日に開催した株友会集会に招集を受けてもこれを無視し、あるいは無関心で出席せず、また、被控訴人が同年八月及び一〇月に発送した委任状についても返送したのは木下茂だけでその余の者は無視するか無関心であつたものであり、特段株友会活動というべきものに関与した事実はなく、とりわけ森しづか及び坂東琢郎の二名は当初から帳簿閲覧等の請求のための署名押印を拒否して右請求に参加したことはなく、第一次仮処分申請の申請人にもなつておらず、島津隆峰は帳簿閲覧請求に限つて捺印しただけでそれ以外については態度を保留し、河崎与一郎においては委任状への捺印の取消を申入れており、山田らが被控訴人とともに一連の活動に直接参加してきた同志であるなどとはいえない。

(2) 「株友会会員各位」と題する書面(甲第三三号証)は、被控訴人が一方的に配布したにすぎず、これについて意見を求めたものでないから、被控訴人が異議などを特にきかされていなかつたからといつて、本件委任状作成を自己に一任してくれていると思い込んだことの根拠とはならない。

(3) さらに、被控訴人が昭和四二年八月中旬頃までに、その従業員岩坪慶直らをして各株主宅を訪問させ、今後委任状が必要な場合は被控訴人に印鑑と署名を任せてほしい旨を申入れた事実については、被控訴人の司法警察員に対する供述調書などではこれにそう供述をしているものの、検察官に対する供述調書では、「軽率にも急ぐあまり」、「同意を得ずして」などと述べ、その供述内容があいまいで一貫しておらず不自然であり、また、右岩坪の刑事公判における第一回目の証人尋問では明確に否定しながら、第二回目の証人尋問では肯定し、被偽造者らは刑事公判においてほぼ一致して明確に否定しており、これらの諸点からすれば右申入れの事実の存在を認めることは困難である。

(4) 被控訴人が右錯誤に陥つていたことの認定証拠として、原判決では採用していないが本件刑事判決がその最も重要な証拠としている「株友会設立についての規約」(甲第一一号証)、「株友会規約」(甲第一二号証)についてみるに、これらの文書はいずれも本件刑事公判で提出されたものであるが、被控訴人は捜査段階においてこれらの文書の存在について何ら言及しておらず(供述書に記載された「第三号証」がこれらの文書を指すものでないことは後述するとおりである。)、第一次及び第二次仮処分申請において、申請人である株友会会員の一部の者からの委任の有無が問題になつた際にも、これらの文書を裁判所へ提出しておらず、また、昭和四二年一〇月二七日の捜索の際にも押収されていないばかりでなく、「株友会設立についての規約」については、これが作成された昭和四一年一一月当時いまだ帳簿閲覧についての具体的行動は一切行われておらず、ましてや本件仮処分のごとき裁判手続まで考えていなかつたから、「諸手続等についての署名捺印等一切の権限は会長が行使すること」との文言が、本件仮処分申請に関する委任を含む趣旨とは考えられず、また、「株友会規約」についても、被控訴人がその作成時期であると主張する昭和四二年六月五日頃には、帳簿閲覧の要請はあつたものの、いまだ帳簿閲覧請求はなされておらず、したがつて訴外会社から株友会会員に対する切崩し工作に対抗する手段をとる必要性などなく、帳簿閲覧を裁判手続に訴えてまで強行しようという状況にはなく、被控訴人自身そのような意思もなかつたのであるから、かかる時期に「訴訟その他裁判上の行為」に関し授権の定めをしているのは不自然であり、しかも被控訴人が帳簿閲覧請求をするについてさえ、同年八月頃までに帳簿閲覧請求書への署名押印を受け、その後同月末頃及び同年一〇月の二回にわたつて帳簿閲覧のために個別の委任状を徴するなど「株友会規約」の内容と全く矛盾する行動をとつていることなどの諸事情に照らせば、少くとも「株友会規約」は本件私文書偽造等被疑事件発生後に、刑事責任を隠蔽するため作成されたものとみるべきであつて、被控訴人には本件委任状作成権限につき錯誤はなく、かえつて本件紛争の経緯、本件仮処分申請時の切迫した状況及び被控訴人が本件紛争に多大の出捐をしていることなどから、被控訴人自身本件委任状の作成権限を有していないことを十分承知のうえで、あえてこれを作成したものというべきである。したがつて、これと同一の結論に立つて本件公訴を提起した担当検察官には何ら過失はない。

(二)  本件公訴提起に過失がなく適法であることについて

仮に本件委任状作成権限につき被控訴人に錯誤があつたとしても、担当検察官がなした本件公訴提起には過失がなく適法である。

(1) 検察官の公訴提起の違法判断基準について

検察官の公訴提起が国家賠償法(以下「国賠法」という。)上違法とされるためには、検察官がその職権を濫用して公訴を提起したなどの特別な事情があることを要するか、仮にそうでないとしても、検察官が相当の嫌疑を抱くに至つた証拠評価、犯人像についての判断が自由心証主義を前提としても経験則、論理則に照らしてなお到底是認し難いものであり、通常の能力を有する検察官であるならば、何びともそのような結論に至らないであろうことが明白である場合でなければならないというべきである。すなわち、

(ア) 無罪判決が確定した場合に検察官の公訴提起等を違法と評価すべきか否かについては、最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決(民集三二巻七号一三六七頁、以下「芦別国賠判決」という。)が判示するとおり、判決時と捜査、公訴の提起、進行時で特に事情を異にする特別の場合を除き、捜査、訴追は違法であつたと判定されるべきであるとするいわゆる「結果違法説」によるべきではなく、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起、追行等が違法となるということはなく、客観的に犯罪の嫌疑が十分であり、有罪判決を期待しうる合理的根拠がある限り、違法とはなし得ないとする「職務行為基準説」によるべきである。

(イ) 公権力の行使は、本来国または公共団体の統治権に基づく優越的、高権的な意思作用であり、それを行使すれば殆んど常に権利侵害を伴うものであるが、そのことは公権力の行使の根拠法令それ自体によつて予定され、許容されているのであるから、国賠法一条一項所定の「違法」を論ずるに当たつては、民法七〇九条所定の「権利侵害」とは多かれ少なかれ異つた特質を承認せざるを得ない。したがつて、職務行為基準説のもとにおいては、権利侵害の事実をもつて違法評価の契機ないし基準とすることはできず、当該権利行使の根拠規範(行為規範)の目的内容に照らし、当該権利侵害が法の予定している行為の種類、態様を逸脱しているか否かが違法判断の基準とされるべきである。そうだとすると、国賠法一条一項の違法性とは、究極的には他人に損害を加えることが法の許容するところかどうかとする行為規範(違反)性を指すというべきであり、この解釈が判例の採る職務行為基準説と矛盾なく調和するものである。

(ウ) 右違法性概念を前提として検察官の公訴提起の違法判断基準を検討するには、検察官の職務等に関する特質、すなわち公訴の提起の純粋思惟性、事実認定、法令適用の正当性の相対的性格、刑事司法手続の自己完結性を勘案すべきである。

① 公訴の提起の純粋思惟性

検察官は、捜査を主宰し、その帰結としての公訴提起をなすか否かを判断するに当たつては、採証法則、経験則に則つて証拠の充足の有無、その取捨選択、評価をし、自由心証に基づいて事実を認定し、これに法令ないしそれを合理的に解釈したところを適用して事案を処理するのであり、公訴の提起は、右の心証形成の結果、犯罪の嫌疑が得られた場合に限つてこれをなすべきこととされる。右のような事案の処理というものが、単純、機械的作業ではなく、正に純粋思惟作用であり、そして、神ならぬ人間のなす思惟作用である以上、おのずから限界があるところ、社会はその限界を十分知りながら現在の司法制度を認めたのであるから、純粋思惟作用である検察官のなす公訴の提起等の判断は、同じく純粋思惟作用である裁判官のなす刑事判決等の判断と少なくとも同様に、社会の付託に明らかに反する特別の事情がある場合、すなわちその与えられた権限を濫用するなどしてみせかけの純粋思惟作用に至つている場合を除いては、もともと社会から正当行為として許容されていると解すべきである。刑事判決と公訴提起等との間には、前者に比べて後者の方が要求される心証の度合が相対的に低いことと、後述するように自由裁量性が著しく広範であることを除いては差異は認められない。そして右二つの差異は、公訴提起における国賠法上の違法判断の余地を刑事判決の場合より限定する要因ではあれ、広げるべき要因たり得ないことは自明である。控訴人は検察官の恣意を容認すべしとか自由自在に判断することを容認すべしとか主張しているものではなく、被控訴人の主張は曲解も甚だしく失当である。

② 事実認定、法令適用の正当性の相対的性格

検察官も純粋思惟性を有することにおいて裁判官と立場を同じくするから、検察官が起訴、不起訴を決定する前提として行う証拠の取捨選択、証拠価値の判断及び事実の認定も、原則としてその自由心証に委ねられており、当該検察官の識見に基づいて正当と信ずるところに従つてなされるべきものであり、それらが誤つた違法な心証形成であると評価することは、それが何びとの目にも一見して明白かつ重大なものであるという特段の事情がない限り、殆んど困難な事柄であるといわざるを得ない。

そして、検察官は自ら事実を認定し、法の当てはめを行つて法の目的を実現すべき準司法官であると同時に、当事者の一方として裁判官に法の具体的創造を求める訴追官であり、有罪判決を得る見込みがある場合に限り公訴の提起をなすべきであるが、有罪判決を得る見込みといつても本来的に茫洋としたもので、的を絞り切れる性質のものではないから、刑事裁判であるからといつて格別その許容される判断の幅が狭く限定されなければならない理由はなく、検察官による公訴提起が違法となる範囲は、検察官の公訴提起時における心証が裁判官の判決時における心証より低くてよいことと相挨つて、判決が違法となる範囲に比して著しく極限されたものにならざるを得ない。

③ 刑事司法手続の自己完結性

刑事司法手続は、捜査段階において犯罪の嫌疑があるとされた場合において、果たしてそれが真に存在するか否かを確定する手段である。公訴提起によつて開始された公判手続が無罪判決によつて終結し、あるいは有罪判決が上訴審や再審等において取消されたとしても、それがために当該公訴提起や有罪判決等が当然に国賠法上違法となる筋合のものではない。公訴提起から第一審判決、控訴審判決、上告審判決、さらには再審判決に関与した複数の裁判官及び検察官が、それぞれの見識と素養、経験等に基づき、その信ずるところに従つて判断した結果、様々な結論が提示され、究極において刑事司法手続のルールに則り、最終判断をもつて具体的法規範の創造を終えた場合、司法制度は、むしろ理想的に機能している(一連の刑事司法手続全体をとらえてのことであつて、もとよりその手続の一部である公訴の提起をとらえて理想的であると主張するものではない。)のであるから、裁判官や検察官の刑事司法手続上の行為が国賠法上違法の評価を受けるのは、右の法の予定したルールを逸脱した特段の事情がある場合に限るというべきである。

(エ) ところで、芦別国賠判決は、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば公訴の提起等が適法であることを判示したまでであつて、右の嫌疑に至らない場合についてまで判示したものとは認められないのであるが、前記(ウ)①②③の検察官の職務等に関する特質を勘案すると、公訴提起という準司法行為についての違法判断基準は、裁判官の争訟の裁判の違法判断基準(最高裁判所昭和五七年三月一二日第二小法廷判決参照)と同様、検察官が「違法または不当な目的のもとに捜査及び公訴の提起追行をし、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情」がある場合等、当該刑事手続それ自体に重大な瑕疵があつて到底法が許容しない行為と評しうる場合に限り、国賠法一条一項の違法を招来すると解するのが、理論的にも相当であるというべきである(仙台高等裁判所昭和六二年一一月一八日判決参照)。

(オ) 仮に、芦別国賠判決の判示に従つて本件公訴提起の違法判断を行うことにしたとしても、刑事手続における実体形成が捜査の当初における捜査機関の主観的嫌疑から公訴提起における客観的嫌疑を経由して、最後に有罪判決における犯罪の証明及び刑罰法規の具体化に至るまで、証拠資料を集積しながら漸次発展し形成されていくという動的、発展的性格を有するのであるから、公訴提起時における検察官の判断資料と公判終結時における裁判官の判断資料とは、刑訴法における当事者主義及び証拠能力の厳格な制度からして一致するとは限らず、かえつて、新証拠の出現、既存証拠の証明力の増強、減殺等によつて、証拠資料は質的にも量的にも変動するのが通常であつて、公訴提起に要求される犯罪の嫌疑の過度は、有罪判決に要求されるそれより当然低いもので足りるのであり、したがつて、公訴提起の国賠法一条一項の違法、過失があつたかどうかを判断する場合、公訴提起に要求される犯罪の客観的嫌疑の有無は、原則として起訴時における各種の証拠資料、すなわち起訴時を基準として検察官において既に収集していた証拠資料及び公判審理の過程で収集可能であつた証拠資料を総合して判断すべきであり、検察官が起訴時に収集しておらず、公判審理の過程で弁護側申請の証拠としてはじめて顕出された証拠資料は、判断資料とすべきではなく、ただ、例外的に、検察官が起訴時までにこれらの証拠について捜査しなかつたことに職務上の義務違背があると認められる場合、すなわち、起訴時までに収集された証拠資料及び被疑者の供述などを総合して、通常の検察官において公訴提起の可否を決定するに当たり、当該証拠が必要不可欠と考えられ、捜査を尽くす職務上の注意義務があり、かつ、当該証拠について捜査することが可能であるにもかかわらず、これを怠つたなど特段の事情が認められる場合に限つて、判断資料に供しうるものというべきである。

そして、犯罪の嫌疑が十分であるかどうかの心証形成については、刑訴法は、裁判官による証拠の評価につき自由心証主義を採用しているから、人によつて証拠の証明力の評価の仕方に違いがあるため、一定の証拠によつて形成される心証の態様、強弱の程度についても、ある程度の個人差が生じることを避け難く、裁判官と検察官の間では、立場の相違から証拠の見方や心証の強弱に差異がないとはいえないのであるから、検察官の公訴の提起に違法があるというためには、検察官において犯罪の嫌疑を認めた判断が、前述の公訴提起の違法性の判断資料に供しうる各種の証拠資料を総合して、証拠の評価について通常考えられる右の個人差を考慮に入れても、なおかつ行き過ぎで、経験則、論理則に照らして、到底その合理性を肯定することができないという程度に達していることが必要であると解すべきである。

(2) 原判決の違法判断基準の問題点について

原判決の判示は、職務行為基準説を採用しつつ、違法判断の基準時を公訴提起時においているなどの点においては、一応妥当なものであるが、なお、違法判断基準について前記(1)(ウ)で述べたような検察官の職務に関する特質について十分吟味しなかつたために、甚だ不十分なものであると考えられる。

さらに、原判決は、本件のような民事紛争に端を発した特殊な事件では、文書偽造の犯意ありとして起訴するには、相当高度な合理的(客観的)根拠が必要とされると判示するが、その理由についての説示が十分でなく、本件においてこのような相当高度な合理的(客観的)根拠を持ち出すことにより、職務行為基準説を採るかのようにしながら、結果的に結果違法説に大きく傾いているものといわざるを得ない。

(3) 本件公訴提起の適法性について

本件公訴提起時における各種の証拠資料を総合的に判断すれば、担当検察官が公訴事実について客観的嫌疑ありと判断して公訴提起したのは極めて妥当かつ当然の措置であつたというべきである。

まして公訴提起時においては、本件刑事判決が錯誤ありと認定する決め手となつた「株友会設立についての規約」及び「株友会規約」(以下「問題の株友会規約」ともいう。)はともに検察官が収集可能な証拠資料ではなかつたのであり、前記(1)(エ)、(オ)において述べたような特段の事情のある場合に当たらないことは明らかであるから、違法行為と評価する余地は全く存しないといわざるを得ない。

(ア) 被控訴人の捜査段階での供述には、むしろ私文書偽造の犯意を自認しているとしか解しようのない部分もあり、供述自体極めて曖昧なものであつて、被控訴人主張のような否認事件とは直ちにいい難いものであつたというべきであり、株友会が結成されるに至つた経緯、目的、趣旨及びその後における活動の実態等からしても、担当検察官が被控訴人の右供述を単なる弁解であると判断したのは誠にやむを得ざるものであつて、被控訴人が捜査段階において問題の株友会規約の存在について何ら言及していなかつた以上、その存在を疑つてこの点を捜査したうえで公訴提起すべしとするのは、検察官に不可能を強いるものであつて、到底容認しうべきものではない。

(イ) 被控訴人が担当検察官に提出した供述書(甲第一〇号証)中に引用している「第三号証」は、右供述書に記載されているとおり、「万一会社(訴外会社)がこれ(帳簿閲覧請求)を許諾しない場合、或は裁判所へ閲覧請求の訴えを提起しなければならないし、その都度署名捺印を求めて廻る煩瑣を省くため、印を作つて押捺さして欲しい、誓つて悪用しないからと全員の信頼を受け」一任されて作成した書類というのであつて、その体裁などからすれば、問題の株友会規約に当たらないことは明白であり、「第三号証」が問題の株友会規約である旨の原審における被控訴人の供述は、訴訟代理人の誘導によりなされたもので、到底措信できるものではない。

また、およそ検察官が被疑者の持参した証拠書類に目を通さないでそのまま持ち帰らせるということは経験則に反する事態であり、本件の刑事事件において、担当検察官が証拠書類の受領を拒否しなければならない理由など全くなかつた。現に被控訴人は検察庁に証拠書類を持参してこなかつたものである。被控訴人には当時助言を受けることのできる弁護士がいたという事情や問題の株友会規約の内容の重要性を勘案すると、原判決の認定は事実誤認といわざるを得ない。

(ウ) 本件は訴外会社の経理疑惑をめぐる訴外会社側と被控訴人ら有志株主間のいわゆる民事紛争に端を発した事件であつて、被控訴人と利害が対立するのは、訴外会社の代表取締役である加藤友保ら会社内部の者であり、本件委任状の被偽造者である山田らはいずれも訴外会社の株主として右紛争において中立的な立場に立つていた者、あるいは少くとも会社側にくみしているとはいい難い者であり、岩坪慶直、中本貞雄、里深徳平らはいわば被控訴人側の者というべきであつて、これらの者の供述を信用して公訴提起に踏み切つたとしても、担当検察官が関係者らの供述だけを一方的に過信したことにならないのは明らかである。

(エ) 被控訴人の検察官に対する供述調書は、確かに六枚からなる簡略なものではあるが、その内容は事件全般にわたつており、担当検察官甲は、少くとも約二時間取調べを行つて調書を作成し、さらに被控訴人に対し供述書の提出を求めるまでしてその弁解を尽くさせようとしたものであつて、その取調べ状況は被控訴人主張のような程度のものではなかつた。また、被控訴人は検察官にいわれて白紙に名前を書いた旨供述するけれども、右供述が信用できないことは、本件刑事公判において、被控訴人が右調書の任意性等について何ら異議を述べていないことからも明らかである。

もともと検察官の捜査権の行使は、司法警察職員のそれに対して第二次的、補充的な面を有するものであつて、公訴維持の面から問題がないとの心証を得れば取調べを要しないものであるから、担当検察官が被偽造者である山田らのうち、供述調書作成にまで至つている者が一三名にすぎないからといつて、公訴維持の観点からは警察での取調べ以上のものは出ないと判断し、事情聴取を行わなかつたのであるから、何ら捜査の懈怠があるとはいえず、また、担当検察官がある証拠について全く見ていないと証言したからといつて、長期間を経過して公訴提起当時の記憶が薄らいでいることは当然であるから、この一事をもつて証拠資料を満足に検討していないということはできない。

(オ) 本件において、担当検察官が被控訴人の弁解を動機の錯誤であると考えており、それゆえ公訴提起に当たつてこの弁解を重視しなかつたようにみられないではないが、担当検察官の真意とするところは、動機の錯誤か否かにあるのではなく、被控訴人の弁解が関係者の供述からみて信用できず、犯意を阻却するような錯誤には陥つていないとするところにあることが明らかであり、被控訴人の弁解を信用できるものと考えるかどうかは、結局のところ、検察官の自由心証の問題に帰するのであつて、当時参考人として取調べた被偽造者らがいずれも被控訴人に委任した覚えはない旨述べていたことなど、当時の検察官の手持証拠によれば、右弁解を信用できないと考えたとしても、著しく合理性を欠いたものということはできない。

(カ) 前記供述書(甲第一〇号証)の文言記載からすると、担当検察官としては、これを受取つて通読した際、関係資料の提出を求めるべきであつたと考える余地もあるが、前述した供述書提出の事情や被控訴人の方から積極的に関係資料を差出したという事実がなかつたこと、供述書は法律的な知識を持つている者と被控訴人とが相談して書かれたものと考えられるところ、その結びの文言が明らかに罪を犯したことを認める前提で、寛大な処分を求めていることなどを併せて考慮すると、担当検察官が供述書を検討した後、関係資料の提出を求めなかつたとしても、何ら捜査に懈怠はなかつたものというべきである。

(4) 被控訴人の後記2(三)の本件の背景についての主張は争う。本件の刑事事件の訴因は、被控訴人が帳簿閲覧仮処分申請に際し本件各委任状を偽造し、これを行使したというものであり、有罪か否かはもつぱら被偽造者である株主による委任状作成権限授与の有無ないし被控訴人における右作成権限授与ありとの誤信の有無にかかつていたものということができるから、これらの争点、とくに株友会の活動状況それ自体やそれに対する訴外会社の対応の把握などは、被控訴人自身やその賛同者、被偽造者の供述等によつて判断しうるというべきであつて、被控訴人の主張は、背景事実を過大評価しすぎるものであつて、事案の争点を不明確ならしめる失当なものである。

2  被控訴人の主張

(一)  控訴人主張(一)について

被控訴人に対しては、被偽造者とされた者を含む第二次仮処分申請者株主またはその相続人全員(ただし、森しづかを除く。)から委任状作成権限につき授権があつたのであり、少くとも被控訴人はその旨確信していたのであつて、そう確信することには十分な根拠があつた。

(1) 被控訴人らは、昭和四二年六月頃から株友会会員の拡大とともに白紙委任状(甲第五四ないし第五七号証)、帳簿閲覧請求書(甲第一三号証)、検査役選任申請書(甲第一四号証)への署名を求める運動を活発に展開し、その結果、右請求書等については七六名もの株主の署名、捺印を集めることに成功した。その際被控訴人ら株友会役員は、問題の株友会規約を持つて各株主宅を廻り、これを説明しつつ署名、捺印してもらつたが、その時に「これから委任状が色々必要なので印鑑と署名はお任せ下さい。」と頼み、その後も右署名により株友会に入会した会員に対し、株友会ニュース、ビラ等を配布して株友会の結束を固め強化している。

なお、被控訴人らが株友会会員に発送した郵便に対する返信が約二〇通であることもあつたが、これは役員一四名分が除かれていること、電話で返事をしてきた者もあつたことなどを考慮すれば、決して少い数字ではなかつた。

(2) 問題の株友会規約は、昭和四二年六月当時すでに定められており、被控訴人らは、前述したとおり、これを持つて株主宅を廻つており、株主らもこれを見ている。被控訴人は、後記のとおり問題の株友会規約を起訴前の段階で担当検察官のもとへ持参しているのであり、刑事公判において早い時期に、または弁護側反証の最初の時期に提出しているのであるから、被控訴人の側には何ら落度はない。

(3) 被控訴人は、本件委任状を作成するに当たつて勝手気侭に一般株主の名を使用しているわけではない。被偽造者とされた山田ら(森しづかを除く。)は全員自らまたはその家族において、帳簿閲覧請求書、検査役選任申請書または白紙委任状に署名、押印し、あるいは株友会の会合に出席する旨の返事を出し、または株友会宛てに委任状を返送するなど、株友会の事業目的に賛同し、支持を表明しともに活動してきたのである。

(ア) 森しづかについては、被控訴人らは株主宅の訪問において、森しづかの夫長平の従兄弟で同じく三原郡内に居住する訴外会社の株主森丈平の妻から、株友会の事業目的に賛同と協力の承諾を得て帳簿閲覧請求書と検査役選任申請書に署名、押印を受けていたところ、被控訴人は、その後本件各委任状作成までに森丈平が死亡したことを知り、同人の相続人を確かめるため同人方に電話すべきところ誤つて森しづか方に電話し、電話に出た同人から自分が株主である旨の返答を得たため、同人が森丈平の妻としてその株式を相続し、株友会に参加してくれているものと誤信してしまい、以後森しづかを株友会の会員として扱つてきたのである。したがつて同人は株友会活動に全く関わつていない。

(イ) 坂東琢郎は、被控訴人らの訪問を受けた際、株友会の事業目的に賛同して協力の意志を表明したが、訴外会社の当時の代表取締役土屋恒治と懇意であつたことから帳簿閲覧請求書等への署名、押印だけを差控えたにすぎなかつたので、被控訴人としては同人も株友会に参加したものとして扱つてきたのである。

(ウ) 以上のとおり、被偽造者とされた山田らは、森しづかを除いてはすべて株友会の会員であり、帳簿閲覧請求をすることに同意してくれていたのであつて、訴外会社が訴訟外の閲覧請求に対して拒否すれば訴訟手続をとることも辞さない人達であると被控訴人が確信するには十分な根拠があつたのであり、また、被控訴人は独断で自己が授権されていると思い込んだのではなく、当時の状況、株主らの間の訴外会社の疑惑を究明しようとの雰囲気の盛り上がり、株主らの好意的反応等からして、自己への授権を十分な根拠があつて確信していたのである。

(4) 被控訴人は、前述したとおり、各株主宅を訪問した際、今後委任状が必要な場合は被控訴人に印鑑と署名を任せて欲しい旨申入れ承諾も得ているが、署名、捺印代行の申入と承諾の存在は、株友会会員各位と題する文書(甲第三三号証)中の記載文言、被控訴人の司法警察員に対する供述調書(甲第五号証)、被控訴人の従業員岩坪慶直の刑事公判における第一回目、第二回目の証言(乙第八四号証、第九一号証)、被偽造者とされた柳原健六、村上勝美、南山章の母南山きさゑらの刑事公判における証言などにより明らかである(控訴人は右岩坪が第一回目の証言において署名、捺印代行の申入をしたことを否定したと主張するが全く事実に反する。)。したがつて、被控訴人に対し授権があつたことは事実であり、少くとも被控訴人においてそう信じることには十分な根拠が存在した。

(5) 検査役選任申請書(甲第一四号証)中の記載文言によれば、これに署名捺印した七六名の株主がその段階で裁判所での訴訟行為まで予期し、その委任を株友会の代表者である被控訴人にしていたことが明らかである。

(6) 被控訴人は、第一次仮処分で訴外会社側により切崩された児島つや子、木下茂ほか五名のところを廻り、もう一度株友会に戻つて帳簿閲覧請求に加わるよう説得し、その結果右児島、木下については翻意させることに成功し、第二次仮処分の申請者に加わつて貰つたのであり、右木下から同人作成の文書(甲第七一号証)を受取つてその意思を確認する等最大限慎重に行動している。右木下は訴外会社側の厳しい切崩工作により再度株友会を裏切つたものであるが、これについてまで被控訴人らに責任はない。被控訴人らは訴外会社側に切崩されて株友会に復帰しなかつた者と説得のうえ復帰した者とを厳然と区別し、右児島、木下以外の者には第二次仮処分の申請者に加わつて貰つておらず、このことによつても、被控訴人が帳簿閲覧請求について訴訟委任する意思があると信じた者のみの訴訟委任状しか作成していないことが判然とする。

以上のとおり、担当検察官が証拠資料を慎重に分析、検討していれば、被控訴人には少くとも犯意がなく、起訴してみても到底有罪判決を得られないことは容易に予測できたものである。

(二)  控訴人主張(二)(1)、(2)について

(1) 控訴人の検察官の公訴提起の違法判断基準についての主張は、控訴人自らが引用する芦別国賠判決の示した判断とも相容れない全く独自の見解であり、到底是認しうるものではない。

公訴を提起されることは、平穏に真面目に社会生活を営んでいる個人にとり社会的地位、名誉を失墜させられ、たとえのちに無罪の判決を得ても、それまでの間自己の寃罪を晴らすために精神的にも肉体的にも過酷な労力、苦難を要求させられ、本人はもとよりその家族に対しても筆舌に尽くし難い苦痛、心労を与えるものであつてみれば、その重大な職務を担当する検察官には、公務員一般に比して、国民の人権を侵害しないよう特別な慎重さ、真摯さが要求されることは当然のことである。

そうであるからこそ、判例も、検察官が公訴を提起するに当つては、「各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑」の存在を要求しているのである。控訴人の前記主張は、検察官の公訴の提起が違法と認められる場合を余りにも狭く限定してしまつており、事実上公訴の提起を国賠法上免責とするに等しく、基本的人権の尊重、国民主権を基本原則とする日本国憲法及びそれを受けた国賠法の立場からは到底容認し得ない。

(2) 控訴人は、とくに検察官の公訴提起の「純粋思惟性」、「事実認定、法令適用の正当性の相対的性格」、「刑事司法手続の自己完結性」なる観念を持ち出し、公訴提起における国賠法上の違法判断の余地が限定されると主張するが、刑訴法二四七条、国賠法一条の解釈として是認できない。

(ア) 純粋思惟作用の観念内容は明らかでないが、そのことは措くとしても、純粋思惟作用であれば、どのように自由自在に公務の執行をしてもよいことにはならない。公訴の提起が前述したとおり被告人及びその家族に甚大な影響を与えるものであつてみれば、その判断には特別な慎重さ、厳格さが要求されるのであり、純粋思惟作用であれば検察官が自由自在に判断してよいなどと、社会は決して許容していないのである。

(イ) 事実認定、法令適用の正当性の相対的性格の主張とても、仮に事実認定等に一定の判断の幅があるとみても、判断の幅には自ら限界があるのであつて、特に刑罰権の行使の是非が判断される刑事裁判においてはその許容される判断の幅は狭く限定されているのである。そのことは検察官の判断の場合であつても変りはなく、そうでなければ検察司法に対する国民の信頼は失われる。

(ウ) 刑事司法手続の自己完結性の主張は全くの詭弁である。たしかに再審で無罪が宣告された事案などを考えた場合、再審判決そのものは理想的であるといえても、その公訴を提起した検察官の判断が正しかつたとか、理想的であつたなどということには全くならない。むしろ検察官が事案を正しく認識して不起訴の判断をしていれば被告人は長期間被告人として苦しまされることはなかつた筈である。

(3) 控訴人引用の仙台高等裁判所昭和六一年一一月二八日判決は事案を異にし本件に適切でないばかりでなく、右判決で展開された理由は非論理的で失当である。

(ア) 公訴の提起は公判手続の起点となるものであり、その最終段階である判決において有罪判決が下されれば、身体を拘束され、最悪の場合にはその生命すら奪われる性質のものであるのに対し、民事訴訟手続においては、民事実体法上認められている権利の有無が審理され、勝訴した者は原則として敗訴者の財産にしかかかつて行くことができないのであり、身体、人格に対する一切の物理的強制は排除されている。

このように刑事訴訟と民事訴訟とは審理手続という点において形式的には類似であつても、その適用される実体法が全く異なり、その手続上の原則に違いが生じる。刑法は、刑罰という名で人権を直接侵害する効果を規定するが故に、その解釈、適用には極めて高度の厳格性が要求され、また、刑法と不可分の関係にある手続法たる刑訴法にもその厳格性が要求されることも当然のことである。刑事訴訟と民事訴訟との間に右のような差異がある以上、公訴提起の段階において、その権限を持つ検察官に対し民事訴訟の場合よりも、さらに厳格性、慎重さが要求されるのは極めて合理的である。

(イ) 刑訴法は公訴を提起する権限を検察官に独占させるという国家訴追、起訴独占主義を最も徹底した形で採用しているが、右制度の採用は、官僚主義に伴う短所を免れ得ないし、さらに検察官一体の原則や起訴便宜主義と結びつくことにより、検察官の独善主義や時にはいわゆる検察ファッショの疑惑を生む事態が発生するおそれがある。右の弊害の発生を未然に防ぐためには、その権限の濫用を防ぐ抑制制度が必要であるが、違法不当な起訴を抑制するための具体的な制度は、刑訴法上存在しない。

現在の裁判における審理方法が真実発見のための優れた方法であることは否定しないが、この制度にも多くの欠陥が存在することは、これまで数多くの寃罪事件が発生したことから明らかである。

公訴提起に関し検察官に広い権限を与える制度は決して原則的なものではなく、近代立憲国家においては、公訴提起に対する抑制は必然の流れであり、英米においては、予備審問の制度があり、違法不当な公訴提起を抑制するという機能を果たしているが、わが国では検察官の専属的判断による起訴によつて、ただちに裁判という場に被告人が引き出されるのであつて、検察官による違法不当な起訴を未然に防ぐべき方策の必要性がつとに唱えられ、さらにわが国の刑事裁判の有罪率は極めて高く、これが事実上影響して刑事訴訟手続における法原則である無罪の推定は霧散し、一般社会においては有罪の推定が働き起訴された被告人は犯罪者とみなされ、致命的な影響を受けるものである。

以上のような諸点を考えると、前記仙台高等裁判所判決のごとく国賠法一条の解釈を著しく緩和することは許されない。検察官に高度の注意義務を課すことは当然である。

(ウ) 裁判官は受動的審判者であつて、当事者主義的色彩の強い刑事訴訟制度下においては、当事者の行う立証活動を見守ることが主な職務内容であるが、検察官は能動的当事者として証拠の収集、提出につき強力な権限と広範な裁量権を付与され、裁判官に比べて自ら事案の解明をなしうる権限を与えられている。前記判決はそのことを一般論としては認めておきながら、実際には全く無視している。

また、右判決は、検察官の行為につき国の国賠法上の責任が肯定されるためには、「当該検察官が違法又は不当な目的の下に捜査及び公訴の提起追行をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認められるような特別の事情があることを必要とする。」と判示しているが、国賠法一条は公務員の行為が過失による場合にも国等の損害賠償責任を認めているのであつて、右責任を公務員の内心の意図、心理状態にかからしめること自体、国賠法、ひいては国民主権を基本原則とする憲法に違反するものである。

(三)  本件の背景について

本件は、当時訴外会社をめぐつて存在した専務取締役加藤友保の公金横領、補償金の使途不明等、重大な経理疑惑を究明せんとして、自己の犠牲をも顧みず奔走し、帳簿閲覧のため運動を行つていた被控訴人ら株友会会員に対し、何としてでも真相の露顕を阻止しなければならなかつた訴外会社側が必死の切崩工作を行うという状況の中で、正義の側の株友会の足もとをすくうという形で起きた事件であり、訴外会社側の会社役員を動員し、縁故、知人等を利用した、あるときは脅迫まがいの、あるときは詐言を用いた切崩工作にはすさまじいものがあり、その結果、本件仮処分申請事件の申請者七一名中、山田らが切崩され、被控訴人ら委任の弁護士への委任を解除させられ、訴外会社が被控訴人を追告訴し、警察による捜査が進められ、これを受けて担当検察官が訴外会社役員らではなく、正義の立場に立つて不正疑惑を究明しようとしていた被控訴人を杜撰な捜査のみで起訴してしまつたというのが真相である。検察官の起訴の違法性は、これらの背景事実を踏まえなければ、真の意味で明らかになるとはいえない。

(四)  検察官の起訴の違法性について

検察官は、公訴提起をするに当たつては、被疑者に有利であるか不利であるかを問わず、捜査資料を十分に収集し、検討すべきであることはもとより、被疑者の弁解を十分聴取し、そのうえで犯罪の嫌疑が十分にあり、有罪判決を得る合理的見込みがあつてはじめて起訴すべき職務上の注意義務があり、とくに本件のように訴外会社の不正な経理疑惑をめぐつて、少数株主権としての帳簿閲覧請求権を行使し、これを明らかにしようとする被控訴人ら株友会会員側と、それを阻止しようとする訴外会社側とが対立し、相互に株主を獲得するため株主を対象に熾烈に切り崩し、巻返しを展開している場合には、これらの株主の供述が変化し、それ自体だけではその真相を明らかにできないものであり、さらに文書作成権限を授与したか否かという微妙な点が争点となつている事案では尚更である。しかるに、本件において担当検察官には次のような違法、過失がある。

(1) 被疑者の弁明を十分に聴取していない違法

被控訴人は警察での取調段階から私文書偽造、同行使罪の成立につき否認し、少くとも犯意がなかつた旨供述していたのであるから、否認事件を送致された担当検察官としては、何故被控訴人がそう述べるのか、そう信ずる背景としていかなる事情があるのか、その確信には客観的裏付けがあるのかどうかの点について、慎重に捜査すべき義務があるところ、担当検察官は被控訴人の供述をたつた一回しか、それも僅かな時間しか聴いておらず、供述書を書いて持参するように命じただけで、何故被控訴人が被偽造者とされた株主から授権があつたと考えているのか、それを裏付ける客観的資料はあるのか等については全く聴いた形跡がなく、実質的な取調べは全くしていないのである。

被控訴人の供述に不充分さがあることと犯意を認めていることとは全く異なる事柄であり、被控訴人の供述書を素直に読めば全体として犯意を否認していることは明白である。曖昧と指摘される点も被控訴人が法律には全くの素人であるから正しいと確信して行つたことを検察官が法的に違法と解釈されるのであれば止むを得ないという趣旨の供述であつて、犯意を自認していることとは全く異なることであり、担当検察官は委任状作成権限の授権の点について全く見落しているものである。

(2) 証拠の収集を怠り、重要な証拠を故意に看過した違法

(ア) 被控訴人は担当検察官の取調の際、株友会関係などの証拠書類を持参して取調を求めたが、担当検察官は被控訴人が委任状作成につき自己に授権があつたと主張しているのは、動機の錯誤にすぎず、故意は阻却されないと考え、右証拠書類を一顧だにせず無視し取調べていない。これは検察官としての基本的義務を懈怠しているといわざるを得ない。

(イ) 警察が捜索、差押し収集した証拠は、被控訴人の「業務妨害」容疑に関するものであり、「私文書偽造」容疑に関するものであるから、その間にずれがあるのは当然である。それゆえ、「私文書偽造」一本に捜査方針を変更した担当検察官としては、より慎重に証拠書類を収集、検討し直すべきであつたものである。しかるに担当検察官は証拠資料を新たに収集、検討した形跡は全くなく、右「業務妨害」容疑で収集した証拠を流用して起訴しているものであつて、証拠収集段階での重大な過失がある。しかも担当警察官は警察が押収した証拠さえ満足に検討していない。

(ウ) 担当検察官は、被偽造者とされた山田らのうち、一三名しか取調べておらず、それも僅か二、三頁の供述調書であつて、本件の背景についてはもとより、署名押印の代行権限を被控訴人に与えたか否かさえ聴いていない調書は半数以上にのぼり、実質的事情聴取を全くせずに本件起訴を行つている。

(3) 起訴判断を誤つた違法

被控訴人の供述書(甲第一〇号証)で引用されている多くの証拠は、被控訴人の無実の証明をするのに欠かすことのできない資料であり、とりわけ「第三号証」は供述書の前後の文章の脈絡からして、一任されて作成した根拠を記した書類、すなわち問題の株友会規約であることは明白である。控訴人は、「第三号証」は白紙委任状のようなものを指すと主張するが、右供述書に「印を作つて押捺させて欲しい。」との文言があることからすれば、署名押印の授権を定めたものといわなければならない。このような重大な事実を見落した原因は担当検察官において錯誤に関する理解が不十分であつたからである。

以上のとおり、担当検察官が本件の背景、真相を虚心に探求し、正しい法律の解釈をし、証拠の収集、検討につとめていれば、到底有罪となり得ないことは、本件起訴当時においても十分明らかとなつていたのであり、担当検察官の起訴の違法性は否定できない。

3  証拠関係<省略>

理由

一当裁判所は、主文二項1記載の限度において、被控訴人の控訴人に対する本訴請求を正当として認容し、その余は棄却すべきものと判断する。その理由は、次に付加、訂正するほか、原判決理由中、被控訴人と控訴人に関する部分の説示(原判決八枚目表八行目から同一七枚目裏一〇行目まで及び同一八枚目表一〇行目から同裏二行目まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。

1  原判決八枚目表九行目の「及び」を「、」と、同行目の「の各事実」から同一二行目までを「及び同4(無罪判決の確定)の各事実は当事者間に争いがない。」と改める。

2  同裏一一行目の「被告ら」を「控訴人」と、同末行の「第一〇七号証、丙第一」を「第一〇二号証、同第一〇四ないし第一一〇号証、丙第一一」と改め、同九枚目裏五行目の「第三八号証」の次に「、甲第一七号証(但し、最後の頁の四行目以下の記載部分を除く。)」を、同一〇枚目表三行目の「甲」の次に「第一〇号証、同第一三、第一四号証、同第一九ないし第二二号証、同」を、同行目の「第五六」の次に「、第五七号証、同第六〇」を加える。

同六行目の「三ないし九」を「三ないし五」と改め、同行目の「一ないし三」の次に「、同第三一号証の六の一、二、同第三一号証の七、同第三一号証の八、九の各一ないし三」を加え、同一〇行目から一一行目にかけての「、同第三二号証の二の七、八の各一」を削る。

3  同裏六行目の「証人」の前に「原審」を加え、同七行目の「及び同」を、「、原審及び当審証人」と、同九行目の「原告」を「原審及び当審における被控訴人」と改め、同一〇行目の「証人」の前に「前記」を加える。

4  同一二枚目表一行目の「その」の次に「会長に推挙され、右」と、同七行目の「痛感し」の次に「、商法二九三条ノ六による帳簿閲覧請求権(少数株主権)を行使するために必要な訴外会社の発行済株式の総数の一〇分の一(四〇万株)以上に当たる株式を有する株主を確保すべく」を加える。

5  同裏一行目の「組織構成は」の次に「、同年六月当時」を、同一三枚目表八行目の「委任状」の次に「(甲第三四ないし第四四号証)」を、同九行目の「活動」の次に「をいち早く察知し、これ」を加える。

6  同一四枚目表四行目の「二九三条の六」を「二九三条ノ六」と改め、同裏一行目の「これを」の次に「その使用人に指示して」を、同行目から同二行目にかけての「右山田ら」の次に「(但し、後日「株友会」の活動には関係していないことが判明した森しづかを除く。)」を加え、同六行目から七行目にかけての「これに対する」を「記名押印の代行について」と、同八行目の「その」を「右委任状の」と改める。

7  同一五枚目表三行目の「弁護士」の次に「勝山内匠」を加え、同五行目の「告訴し」を「追告訴し」と改め、同裏三行目の「関係者ら」の次に「(被偽造者とされた山田ら二九名のうち一三名と筆記者である被控訴人の使用人七名)」を、同五行目の「すぎない。)」の次に「、被控訴人について、有罪と認められる嫌疑の存在は動かし得ないと速断して」を加える。

同六行目の「約五分間位取調べて」を「ごく短時間取調べ、弁解したい点があれば供述書を提出するように促し、その提出を見越して予め『弁解したい点は只今提出しました供述書記載の通りであります云々』と記載した」と改め、同七行目の「作成しただけで、」の次に「これに同月二六日被控訴人が持参した供述書(甲第一〇号証)を添付し、翌二七日」を加え、同九行目の「その旨」から同一〇行目の「提出した上」までを削る。

8  同一六枚目表一行目の「持ち帰えらせた。」の次に、次のとおり加える。

「右供述書には、そのはじめに『私の真意を参考資料を付して左に申し述べます。』との記載があり、本文中で随所に多くの証拠(証第一ないし第一〇号)を挙示、引用しているが、担当検察官は、右供述書を通読しただけで、これらの証拠を被控訴人に持参させて検討することはなかつた。」

9  同一一行目から同裏八行目までを次のとおり改める。

「ところで、公訴を提起する権限を検察官に独占させているわが国においては、公訴を提起された者は、本来、有罪の判決があるまでは無罪と推定されるとはいえ、刑事裁判の有罪率の高いこともあつて、現実に起訴されたことそれ自体で、すでに有罪判決を受けた場合に近いような社会的評価を受け、そのことによつて地位、名誉を失墜させられ、精神的にも肉体的にも苦難を強いられるものであり、たとえ、のちに無罪の判決を得ても、それまでの間に、本人はもとよりその家族の被る不利益はきわめて大きいものであつてみれば、その重要な職務を担当する検察官には、公務員一般にもまして、基本的人権を侵害しないよう特別の慎重さ、真摯さが要求されることは当然であつて、もとより、検察官による公訴の提起は、一応の証拠に基づく主観的な嫌疑のみに基づいてはなされるべきものではない。

もつとも、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならず、公訴提起時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証とは必ずしも一致するものではないから、結局のところ、公訴提起時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により、判決において有罪と認められる嫌疑が存在する場合にのみなされるべきものと解するのが相当であり、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで、直ちに公訴の提起が違法となることはないというべきである(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決、民集三二巻七号一三六七頁参照)。

すなわち、換言すると、検察官は右のような嫌疑が存在する場合に限つて公訴を提起すべき職務上の義務があるのであつて、公訴提起時を基準として事後的に審査し、検察官が当該事案の性質により当然なすべき捜査を怠り、証拠資料の収集が不十分なため、あるいはその収集は十分であつても、証拠の証明力の評価の仕方について、通常考えられる個人差を考慮に入れても、その評価、取捨選択を誤るなどし、有罪の判断が行きすぎで、経験則、論理則上からして、とうてい首肯し得ない程度に不合理な心証形成をなし、その結果、客観的にみて有罪判決を得られる見込みが十分とはいえないにもかかわらず、あえて公訴を提起した場合には、当該行為は違法であるとの評価を受けるものと解するのが相当である。

控訴人は、検察官の公訴提起の違法判断基準を検討するには、検察官の職務等に関する特質を勘案して、緩やかに解すべきであり、検察官の公訴を提起するか否かの判断が純粋思惟作用であり、おのずから限界があるから、その権限を濫用するなどして社会の付託に明らかに反する特別の事情がある場合を除いて、正当行為として許容されているとか、事実認定、法令適用の正当性の相対的性格から、起訴、不起訴を決定する前提として行う証拠の取捨選択、証拠価値の判断及び事実の認定は、自由心証に委ねられており、それらが違法な心証形成であると評価することは、明白かつ重大なものであるという特段の事情のない限りできないとか、刑事司法手続の自己完結性から、その行為が国賠法上違法の評価を受けるのは、法の予定したルールを逸脱した特段の事情がある場合に限るとか主張するけれども、検察官の公訴提起が違法と認められる場合を余りにも狭く限定するものであつて、事実上公訴の提起を国賠法上免責とするに等しく、同法一条の解釈として妥当でなく、いずれも採用することができない。なお、控訴人引用の前記仙台高等裁判所の判決は、再審無罪となつた刑事手続につき国賠法上の責任事由が認められないとされた事例であつて、事案を異にし本件に適切でないばかりでなく、争訟の裁判に限定して違法判断基準を判示した最高裁判所昭和五七年三月一二日第二小法廷判決を、刑事の裁判にもそのまま妥当するとして、国賠法上の責任が肯定されるためには、『当該検察官が違法又は不法な目的の下に捜査及び公訴の提起追行をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認められるような特別の事情があることを必要とする』と判示するものであるが、刑事訴訟と民事訴訟とは、審理手続、裁判官の役割という点においては類似であつても、その適用される実体法は全く異なり、刑事法は基本的人権と直接に深いかかわりをもつものであるから、その解釈適用には厳格性が要求されるものであつて、右最高裁判所判決が刑事の裁判についても、さらに裁判官と同様、検察官についても、そのまま妥当するとする右仙台高等裁判所判決の理由とするところは、直ちに同調しがたいものであつて、採用することができない。」

以上のとおり改める。

10  同一六枚目裏一〇行目の「株主」の次に「によつて結成された『株友会』の会員との」を、同一一行目の「事件で」の次に「あつて、被控訴人はその代表者となつているのであるから、まずもつて、その行動母体である『株友会』の組織構成、結成された趣意、目的のみならず、会員資格、業務執行の方法、役員の選任及びその権限など株友会関係の証拠資料を収集し検討すべきは当然であり(被控訴人に対し株友会の規約の有無を訊し、その提出を求めることは容易であり、不可能であるとはいえない。)」を、同行目の「このように」の次に「少数株主権としての帳簿閲覧請求権を行使して、右疑惑を解明しようとする被控訴人らの側とこれを阻止しようとする会社側とが対立している」を加える。

11  同一七枚目表末行の「思いを致すことなく」の次に「、被控訴人が担当検察官から取調を受けた際に持参した株友会関係の証拠資料を一瞥もせずにそのまま持ち帰らせ、また、前記供述書中で引用している証拠を被控訴人に持参させて検討することもなく」を加える。

12  同裏五行目の「問題の」から同六行目の「どうかは」までを「被控訴人は昭和四二年六月当時すでに問題の株友会規約は定められており、被控訴人ら株友会役員は、帳簿閲覧請求書、検査役選任申請書に署名、捺印を求める際、この規約を持つて各株主宅を廻つて説明していると主張し、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立を認めうる甲第七〇号証、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果はこれに副うものである。しかしながら、前掲甲第一九号証、同第三四ないし第四四号証、同第五八号証によると、被控訴人は同年八月以降同年一一月当時も株友会の委員長として行動しており、組合長としては行動していないことが認められ、当時すでに問題の株友会規約が定められていたとすれば、帳簿閲覧のために個別の委任状を徴するなどの必要もないことなどに照らすと、前記被控訴人本人尋問の結果はたやすく措信しがたく、また、前記甲第七〇号証をもつてしても、同年七月四日当時株友会規約(甲第一二号証)が存在したとまではいえず、その作成時期については」と改め、同七行目から八行目にかけての「作成されたとしても」の次に「、前記1(四)において認定した事実関係のもとにおいては」を加える。

13  同一八枚目裏一行目の「三〇〇万円」を「四〇〇万円」と、「一〇〇万円」を「二〇〇万円」と改める。

二以上の次第で、被控訴人の控訴人に対する請求は、右損害賠償合計金六〇〇万円とこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年一一月一五日からその支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきである。

よつて、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人の附帯控訴は一部理由があるので、右認定と異なる原判決を変更することとし、民訴法三八六条、三八四条、九六条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官栗山忍 裁判官山口幸雄 裁判官田坂友男は退官につき署名、捺印できない。裁判長裁判官栗山忍)

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